明蜀王陵博物館―成都雑感〔91〕―

今回は明蜀王陵博物館を紹介します。本館は成都市龍泉駅区十陵鎮の正覚山麓の「正覚山庄」(農家楽―農村休暇施設)内にあり、市中心から東南東約10km半の距離に位置します。開館時間は8時~18時で、入場料10元(地宮)です。交通は、80路(五坱石公文站~成都大学站)・97路(桂溪公文站~成都大学站)等で成都大学站下車です。ここから、徒歩で大学正門から進行方向(東)に約300mで、右手に正覚山庄の看板の出ている上り道がありますから、この道を上って約200m強で山庄入口となり、そのまま入り、池を過ぎて右手の道をそのまま進むと、文物展覧館そして僖王陵が見えます。ここが博物館です。本館には僖王陵と昭王陵とがあり、両陵とも地宮(墓室)の見学が出来ますが、入場券は展覧室の値班室で求めます(陵前に連絡用の携帯番号が記してあります)。

明王朝の太祖朱元璋の第11子朱椿が1378(洪武11)年に蜀藩王に封じられて、この8世孫朱至澍が1644(崇禎17)年に農民反乱首領張献忠により廃絶されるまで、13代268年間にわたり封襲しました。これらの王・王妃等の陵が十陵鎮を中心に10か所残されており、これを北京の北十三陵に対して、南十陵と呼びます。これらの陵の中で、第3代僖王陵と第8代昭王陵とが墓室が公開されて、博物館となったのが明蜀王陵博物館です。これらの陵は、1996年11月、全国重点文物単位に指定されました。

写真1は、僖王陵正門からものです。奥が地宮(墓室)入口です。初代献王の嫡孫の朱友は1409(永楽7)年に生まれ、1432(宣徳7)年に蜀王(第3代)を封襲し、翌々34(宣徳9)年に死去しました(享年26歳)。朱友は僖王と諡号され、僖王陵は1435(宣徳10)年に築かれました。本陵は1978年に小学校建設の際に発見され、翌79年に発掘され、地下9mの地宮は、西南から東北方向に位置し、全長28m・幅8.97m・高6.59mで、前殿・中殿・後殿・棺室からなって、前殿正面に墓碑「大明蜀僖王壙誌」が残されていました。盗掘され金銀の副葬品等は残されていませんでしたが、5百余点の彩陶兵馬俑・舞楽陶等が出土し、明代の貴重な資料となっています。

写真2は、中殿から後殿・棺室をとらえたものです。

写真3は、棺室の石棺です。ここには遺骨が残されており、これが僖王とされています。石棺の奥、壁にはめられているのが「円形鏤空描金彩釉双龍盤堪」です。


写真4は、昭陵地宮入口です。第7代恵王朱申鑿嫡長子で、献王3世孫の朱濱瀚は1480(成化16)年に生まれ、1494(弘治7)年に蜀王(第8代)を封襲し、1508(正徳3)年に死去しました(享年29歳)。朱濱瀚は昭王と諡号され、王妃劉氏も1521(正徳16)年に合葬されました。本陵はもともと龍泉駅区洪河鎮白鶴村(博物館南方)にありましたが、成瀘高速道路(成都重慶)改修建設にともない、1991年に僖王陵の後方(東)に移転され、現在に至っています。本陵も盗掘されましたが、彩陶兵馬俑等数百点が出土しました。


写真5は、地宮正殿から見た棺室です。

写真6は、棺室です。ご覧のように2座の石棺床があり、王と王妃が合葬されたことを示しています。手前の石刻は「倣朱元璋人頭龍」で、現在、本陵以外に出土例がないものです。

なお、2010年4月3日(土)の見学で、休日でもあり、「正覚山庄」には茶を喫しながら麻雀にいそしむグループなどで賑わっていました。

(2010.04.07)

〔追記〕 フォトアルバム「成都・成都永陵博物館&明蜀王博物館」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpkosnGJC14lWvu5RAです。

(2011.09.17)

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kanazawa45 について

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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