三星堆博物館―四川雑感〔11〕―

本年は杭州に行き、長江文明の良渚博物院跨湖橋遺址博物館を見学しました。また、望叢祠龍馬古城宝敦遺跡金沙遺址博物館と、四川省内の長江文明の主要地はすでに紹介しました。しかし、四川省内で、日本での観光ガイドにも載せられ、最も著名な三星堆博物館は触れてきませんでした。そこで、改めてこれを紹介することで、四川省内の長江文明の理解の一助としたいと思います。

三星堆博物館は、1997年10月、三星堆遺跡地区の東北角に開館しました。徳陽市広漢市西郊外約7kmの南興鎮の鴨子河南岸に位置し、成都市から東北38kmにあります。現在、敷地面積約35haで、4200㎡の第一展示館(総合館)と7000㎡の第二展示館(青銅館)があります。開館時間は8時半~18時半で、入館は17時までです。入場料は82元(絵葉書郵便代を含む)で、60歳以上42元(要旅券)、75歳以上無料です。成都市からの公共交通はバスで、成都旅游集散客運中心(新南門)から、8時30分発の直通(広漢三星行14元)がありますが、帰路の便はありません。もう一つは、広漢市乗り継ぎで、昭覚寺汽車站からの高速経由の広漢行(8時40分~18時40分 20分毎 往路15元・帰路12.5元 所要時間約40分)で終点下車、そのところで三星堆博物館行の6路の小型バス(2元 所要時間約20分弱)で終点下車です。なお、6路の博物館前には明確な停留所表示がないので、入口前で待つことになります。昭覚寺へは1・32・49・53・63・64・69・70・71・83路などの市内バスがあります。

三星堆遺跡は、1929年春、当地の農民が溝を掘っていた際に玉器を見つけたことで、発見されました。しかし、長く本格的な発掘はなされず、1980~1年に、初めて四川省文物委員会等により本格的な発掘調査が行われて、大規模の住居跡が発見されました。以後、発掘が継続して行われ、1985年10月までに、東・西城壁跡が発見されて、本遺跡が古蜀王国の都城跡と見られるようになりました。さらに、1986年には本遺跡の上限が約5000年前と見られるようになりました。また、各種の貴重な玉器・金器・青銅器等が出土し、以上の成果により、1988年1月、国務院は本遺跡を全国重点文物保護単位に指定しました。発掘調査はさらに継続され、1996年秋には日中合同の磁気探査などの科学的調査が行われました。2005年に基本的な発掘調査を終え、現在整理研究中です。以上の発掘調査で、本遺跡は東城壁跡約1100m(ほぼこの延長線上に第二展示館があります)・南城壁跡約180m・西城壁跡約600mが確認され、北を鴨子河とする城壁都市であることが分かりました。

三星堆遺跡(三星堆文化)は新石器時代晩期文化に属し、上限を新石器時代晩期(紀元前2800年)とし、下限を殷末周初期(紀元前800年)と、延2000年近く続きました。4期に分かれ、第1期は4800~4000年前で、龍山文化時代(五帝時代)に相当し、石器・陶器のみです。第2・3期は4000~3200年前で、夏・殷時代に相当し、青銅器・玉器が出現し、宗教活動が盛んとなり、都市が建設されます。第4期は3200~2800年前で、殷末・周初期に相当し、精美な玉・青銅器が製作され、大型祭壇・建築が築かれます。遺跡地区は鴨子河南岸に沿って東西5~6000m・南に2~3000mに広がり、総面積約12㎢で、全体が保護区となり、城壁跡内を含む重要保護区の面積は6㎢です。

入口より入り、まっすぐ少し歩くと、右手に小丘が見えます。これが総合館(第一展示館 平屋)です。2004年5月にオープンしました(在来の展示館は青銅館―第二展示館となりました)。建物全体を土と草木で覆うことで、風景にとけ込ませようとしています。展示は、「序展」を含め、七つに分かれます。第一単元「雄踞西有 古蜀2000年的滄桑史」、第二単元「物華天府 三星堆的農業与商貿」、第三単元「化土成器 三星堆陶器」、第四単元「以玉通神 三星堆玉石器」、第五単元「烈火熔金 三星堆冶煉」、第六単元「通天神樹 古蜀人智慧与精神的象征」です。

まず、三星堆2千年の概観を見た後、第二単元に進むと、各種の酒器土器・家畜造形物、そして海貝・漆器・玉石飾等が展示され、往時の農業・商貿易の様を見せています。写真1は、青銅貝串飾です。殷代晩期のもので、長6.28cm、2号祭祀杭から1986年に出土しました。

続いて、第三単元から個別の出土品展示となります。第三単元は陶瓷・陶箕等の各種の陶器を展示し、生活実態をうかがわせます。第四単元は玉石器展示で、玉琮・玉戈・玉璦・玉璧等の各種の玉器や石器を展示し、宗教儀礼を知らしめます。写真2は玉璋です。殷代晩期のもので、2号祭祀杭から1986年に出土しました。


第五単元は鷹形銅鈴・銅罍等の青銅礼器と金器を展示して、往時の冶金工芸技術を示しています。写真3は金杖です。全長143cm・直径2.3cm・重量463gで、殷代中期のもので、1号祭祀杭から1986年に出土しました。世界で最も早いものです。写真ではお分かりになれませんが、上端(左)に平雕紋飾図案(魚・鳥・人)があります。これは古蜀王国の伝説の王「魚鳧」を象徴している考えられています。

最後の第六単元は神樹を展示し、古蜀王国の原始宗教を示しています。これにより古代人の宗教観念が理解できます。写真4は本展示館を代表する青銅神樹です。殷代晩期のもので、全高396cm(樹高384cm)で、2号祭祀杭から1986年に出土しました。3段に枝が出ており、各段3枝ずつ張っています。各枝には鳥が飾られて、全9鳥が見えます。枝の先端には果実があります。また、樹の下部には1旒の龍が下向きに匍っています。これは神木である扶桑の木を表しています。以上で総合館は終わりです。

総合館を出、道を進み右に曲がり少し進んで左折すると、拡張以前の門が見え、その奥に青銅館が見えます。総合館から青銅館まではかなりの距離があり、有料の電動カートも走っています。

青銅館はその名の通り青銅器に特化し、「序庁」を含め、六つの展示室からなっています。一展庁は「奇秘面具」、二展庁は「神坐群像」、三展庁は「王者之尊」、四展庁は「千載蜀魂」、五展庁は「必路歴程」です。

一展庁入口には大きな青銅人面具が鎮座しています。入ると、本館を象徴する青銅人面具・青銅縦目面具・青銅獣面具等が目に入ります。写真5は青銅人面具で、殷代晩期のもので、高25.5cm・幅42.5cmで、2号祭祀杭から1986年に出土しました。

写真6は青銅戴冠縦目面具です。殷代晩期のもので、高82.5cm・幅78cm、2号祭祠杭から1986年に出土しました。三星堆遺跡独特のもので、目が飛び出たほかに見られない意匠で、人々を驚かした、縦目デザインの一つです。

写真7は、三星堆遺跡といえば、これといわれる、一目見ると忘れられない意匠の、青銅縦目面具です。殷代晩期のもので、高65cm・幅139cm、2号祭祠杭から1986年に出土しました。突出した瞳孔長16.5cm・径9cmです。頭頂中央の穴には額飾がありそれが失われたと考えられています。世界最大の青銅面具です。目が飛び出ていることは、古代人が目に生命が宿ると思考した象徴と考えられています。

二展庁に入ると、各種の青銅人頭像が展示しています。写真8は戴金面罩銅人頭象です。これは平頂人頭像に金箔の金面を被せたものです。殷代晩期のもので、高42.5cm、2号祭祠杭から1986年に出土しました。

次いで、三展庁に入ると、各種の人頭像等が展示されています。写真9は青銅立人像です。青銅神樹・青銅縦目面具とならび、本館を代表する青銅器です。殷代晩期のもので、高261cmm(人像高172cm)・重量180kg、2号祭祠杭から1986年に出土しました。世界最大の青銅立人像です。

ここから建物中央にしつらえられた青銅神樹の巨大レプリカの回りをスロープに沿って2階に上ると、四展庁です。青銅龍虎尊・青銅太陽形器・青銅鳥等の各種の青銅器が展示されています。写真10は青銅四羊四鳥です。殷代晩期のもので、高54cm・口径26.5cm、2号祭祠杭から1986年に出土しました。外面に4匹の羊と4羽の鳥が飾られています。

3階に至ると、五展庁です。ここはパネル展示で、半世紀にわたる三星堆遺跡の発掘の歴史を展示しています。さらに、この一角に「千古之謎」と題し、遺跡に関するなぞなぞの部屋が設けられています。これで展示は終わりです。屋上に出て遺跡地区を一望して、下ると外に出られます。以上、本博物館の見学には2時間はほしいところです。

なお、三星堆博物館の公式サイトのURLはhttp://www.sxd.cn/page/default.aspで、日本語のページもあります。また、写真は2009年12月29日(火)にペンタックスK-7で撮影したものです。

(2009.12.30)

〔追記〕 フォトアルバム「四川・三星堆博物館」は、https://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpkUalgDRZvD2wR2awhです。

(2011.09.23)

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kanazawa45 について

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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三星堆博物館―四川雑感〔11〕― への4件のフィードバック

  1. shika より:

    なぜこの文明は消えたのでしょうね。四川のある少数民族の祖先なのでしょうか。特に仮面は中華文明と思わない位不思議なデザインですね。アフリカっぽいね。

  2. 正大 より:

    ra shikaさん、はじめまして。三星堆文化の消滅に関しては諸説あるようですが、確かな文字資料がないので、謎としかいえません。でも、これが金沙文化に継承されたことは確かで、いわゆる古蜀王国は、宝敦「蚕叢」「柏灌」→三星堆「魚鳧」→金沙「杜于=望帝」と繋がったのでしょう。そして、「鼈霊=叢帝」の代に、秦に滅亡させられたのでしょう。これらにより、古蜀文明をになった民族は四方へと散っていたのでしょう。で、四川省・貴州省・・雲南省等の少数民族の中には、この子孫がいるのではないでしょうか。

  3. Yang より:

    先生、こんばんは。2004年卒業生の楊でございます。三星堆博物館は大学一年生の頃に一度行ったことがあります。見たことのないいろんな古物を眺めながら、古人の世界に少し触れられたような新鮮感を今も覚えています。中、大型銅神樹が一番印象的でした。その頃はまだ総合展館が開館していなかったようです。 途上はかなり時間が掛かりましたが友達と一緒にでしたので、非常に楽しかったです。

  4. 正大 より:

    Ann Yangさっm、こんにちは。遅くなってすみません。以前と異なり、コメント投稿を確認するのに便が悪くなり、本日気がつきました。三星堆は4度目で、今回は撮影のためでした。あとで振り替えると、まだ見落としの分もあり、重要遺物が個別に撮れていないものがあり、また撮影的に不十分なものもあり、なかかなまだデジ一眼を手中のものにしていない感です。今度機会があれば、金沙遺跡博物館の見学をお勧めします。玉器がすばらしいです。

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