成都市大学生就職招聘会―成都雑感〔29〕―

 来年6月の新卒予定者の就職シーズンが本格的に始まりました。17日(金)、西南交通大学では、九里堤・犀浦両キャンパスで来年卒業予定の大学生・院生を対象に合同就職面接会が開催され、4年生は休講になりました。このために各地から求人企業が人員を派遣してきました。また、すでに個別の企業も出張して面接会を開いております。この中には、日本語学科も関係する日系企業として、トヨタ・ホンダ・松下もありました。さらに、卒業生をリクエーターとして出張させる企業もあります。

 このように、就職戦線の火ぶたは切られているのです。もちろん、大学に来る求人企業から就職先を選ぶのが基本です。これ以外に、北京市や上海市はもちろん、各省でも省都を中心に就職招聘会を開きます。これも学生が就職先を選ぶ有力な手段となるわけです。とりわけ、大学内での就職面接会などをえられない非有力校の学生にとっては重要な機会になります。

 成都市においても、この土日の1819日の両日、「四川・成都市2007年大中専畢業生、畢業研究生供需洽談会曁冬季大型招聘会」(四川省・成都市2007年大学専門学校卒業生・卒業大学院生需給懇談会・冬季大型招聘会)が催されました。写真は、会場となった、西南交大近くの沙湾路の成都国際会展中心(成都国際会議展覧センター)2号館の入口風景です。会場上には上記の横断幕が張られ、大勢の学生が集ってくる様子が見えます。

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 写真2内部で、上海市の大学関係の集ったブースです。上海市歓迎の横断幕が見えます。これら大学教員の招聘条件を見ると、80年代には学部卒でも教員に採用されたのと異にし、社会・人文系の一部が修士号であるのを除けば、博士号が要求されています。基本的に上海の大学の要求が博士号であることが分かります。この点に関して、以前には博士号取得の帰国留学生(海亀族)は各種の優遇措置があり、その帰国を促したものですが、現在では単に博士号取得だけでは大学・研究機関への就職がフリーパスとは如何ないようです。Unicode

 写真3は、更に内部に入ったところで、会場上に「熱烈祝賀中国大学生就業網開通」の横断幕が掲げてあり、就職関係のWebサイトの宣伝となっています。このように、中国でもインターネットが有力な就職活動手段になっているのです。とにかく会場は人人で、歩くにも困難ほど学生で溢れかえっていました。トイレ数が足りないのか、男女とも50人以上が列をなしてトイレ待ちの状態です。

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 写真4は、会場外正面にある、参加企業とブース番号を示した掲示です。過半は成都市の企業ですが、少数とはいえ、上海市を中心に、北京市・山東省・江蘇省・浙江省・福建省・広東省等の企業も参加しており、全国からの就職招聘会となっています。

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 以上写真でも見るように、会場は学生ですし詰め状態で、会展中心バス停に着くバスからは学生達がはき出され、会場へと続々と歩いてきますし、タクシーで乗り付ける学生もいます。どうしてこんなに学生が集るのでしょうか。経済の回復に伴い、日本での大学生の就職事情が超氷河期を脱し、好転しているのに引き替え、高度成長中にもかかわらず、中国での大学生の就職事情は最悪の就職難を迎えようとしているのです。今年7月の卒業予定学生へのアンケート調査によれば、就職決定・内定との回答は49.8%しかなく、なんと半分の学生は就職先が未定なのです。当然、学生は就職に必死なのです。

 ではどうして中国の大学生の就職戦線が超氷河期なのでしょうか。簡単にいえば、90年代末に始まった高等教育拡大策のスピードが経済成長のそれよりも極めて速いということです。求人の伸びに倍増する大学生の増加がここ数年続くことで、完全に供給を需要が上回った、需給間のバランスが需要過多になったことによるのです。

 翻って、文化大革命以前の560年代の卒業大学生数は10万人を越える程度で、同年齢層の1%を占めるに過ぎない、文字通り選ばれたエリートでした。この時期の就職は、計画経済体制に基づき、「分配」と呼ばれるもので、国家が求人企業と学生間に入って、調整・分配、すなわち人事当局が求人を各大学に割り振り、それを大学当局などが個々の学生に割り当てるものでした。当然ながら、学生の希望通りになることはごく少数でした。それを拒否すれば、即失業ですから、希望にかかわらず学生は割り当てられた就職先に向かいました。北京市の学生でも遠い地方に行くのは当たり前でした。例えば、現国務院総理温家宝氏は北京地質学院大学院地質構造専攻を1968年に卒業しましたが、同年北京より西に1000㎞以上もある甘粛省地質局の測量技術員として赴任しました。

 1978年に大学が再開され、経済開放となり、大学も拡張していきました。80年代末の卒業学生総数(院生・本科=学部・専科=短大相当)は58万に達しました。それでも同年齢層の3%を占めるに過ぎず、まだまだエリートでした。それに、就職方式の基本が分配であることは変わりませんでした。80年代半ば、一部の名門校で、「双選」と呼ばれる新方式が試験的に実施されました。これは大学に割り当てられた大型国有企業の求人(この一部)を自由に学生に選択させ、企業と学生間で直接(面談)決定させるものです。ここで初めて学生が就職先を選択する余地が出来たのです。

 1992年の鄧小平の南巡講話により経済開放が加速され、本格的な経済開放と高度成長期に入りました。大学も開放の期に入り、試験的な「双選」も拡大され、学生の選択の余地が広がりました。卒業学生数も着実に増加し、1997年には82.9万人(4.8%)に達し、エリートから大衆化への道を進みます。90年代後期、分配は完全に廃止され、企業と学生が自由に双方で選択することが出来るようになりました。

 1999年、中国は高等教育拡大政策を実施し、これ以降各大学は負けじと拡大に走ります。2002年の卒業生133.7万人(13.8%)が、2003年には187.7万人(17%)と、以前の伸び率10%以下だったのが、なんと40%以上も増加したのです。これ以降も、2004239.1万人(20.3%)、2005306.8万人、2006413万人と、年率20%強以上という急拡大なのです。まさしく、中国の高等教育は大衆化の時代に入ったのです。

 これでは、如何に経済が高度成長しているとはいえ、卒業生の伸びに求人数が追いつけるはずがありません。まさに、「大学を卒業したけれど」の時代に入ってきたのです。

(2006.11.18)

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kanazawa45 について

中国に長年にわたり在住中で、現在、2001年秋より、四川省成都市の西南交通大学外国語学院日語系で、教鞭を執っています。 専門は日本中世史(鎌倉)で、歴史関係と中国関係(成都を中心に)のことを主としていきます。
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成都市大学生就職招聘会―成都雑感〔29〕― への8件のフィードバック

  1. Mika より:

    はじめまして、KMさん。
    「歴史と中国」いつも興味深く拝見しています。
    10/15に、リンクの連絡をいただいた ershi です。
    「成都から」というブログを書いているものです。
    返事が大変遅くなり申し訳ありません。
    私のブログは、日々の出来事を簡単に綴っただけのものです。
    実は両親を安心させるために書いているものですので、
    多くの人に見てもらうようなものではないと思っています。
    せっかく声をかけていただいたのですが、今回は
    遠慮させていただければと思います。
    引き続き、ブログを楽しみに見させていただきます。
    いつか縁があり、お会いできるとうれしいです。

  2. 正大 より:

    ershiさん、はじめまして。ご希望通りに処理しましたので。これからもどうぞご覧ください。

  3. Yu より:

    私は成都出身☆今日本で留学中ですけど

  4. 正大 より:

    はじめまして、羽さん。今後ともよろしく。

  5. Yu より:

    よろしく。来年2月に成都に戻る予定ですけどね。

  6. 正大 より:

    羽さんは来年2月に戻る予定とのことですが、来年は春節が2月18日ですから、正月は団らんになりますね。

  7. Yu より:

    そうです。正大さんはお正月日本に帰らないですか?

  8. 正大 より:

    Yuさん、正月を挟んで期末試験の時期なので、
    いつものことながら元旦を過ごすことは中国に来てからはありません。

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